肩書で仕事をしない

「先生」という呼称は魔法だ。自分がだんだん立派な人間のように思えてくる。自分の意見が通る、思い通りに事が進む。そして「先生」と呼ばれる。勘違いだ。

名刺にいろいろな肩書が記される。それを見て、「あー、この人は組織の中でこういう立ち位置の人なんだ」とわかる。立派な肩書だとそれなりの応対が求められる。それほどでもなければ、それなりの応対で済ます。そういうことは起こりうる。

しかし、仕事をするうえにおいて、肩書で対応が変わることは快適とは言えないだろう。自分自身も肩書の助けを借りて仕事をするのではなく、私自身の価値を高めてサービスを提供したいし、私自身を「買って」くださる方と一緒に仕事をする方が、遙かに幸せだと思うのだ。